「若い人がInstagramやTikTokから離れている」という話を聞く。けれど、SNSを見ることと、自分の日常を投稿することは、同じではない。

2026年の国内調査では、SNS利用者の45%が「少し距離を置きたい、休みたい」と感じた経験がある。一方で、若い層ほどInstagramやTikTokの利用率は高い。疲れているから使わなくなった、と単純には言えない。むしろ考えたいのは、何を見るか以上に、誰に何を見せるかが変わっているのではないかということだ。クロス・マーケティングの調査(意識編)同(実態編)

01.誰に見せるかで、2秒の価値は変わる。

韓国発のアプリsetlogでは、少人数の友人が、日中に撮った短い動画を共有する。利用者を取材した記事で印象的だったのは、「映える投稿を作らなくていい」ことだけではない。生活が変わって会う機会が減った友人と、会話を続けたり返信したりする負担をかけずに、日常を知り続けられるという声だ。

同じ2秒の動画でも、不特定多数に向けて公開するなら、撮るものや見え方を考える。親しい友人だけなら、昼食や帰り道がそのまま近況になる。動画の完成度が違うのではなく、そこにいる相手との関係が違う。

ただし、これは韓国の利用者を取材した記事であり、日本の若い人が一斉に既存のSNSを離れている証拠ではない。InstagramやTikTokで情報を見ながら、日常の共有には別の場所を選ぶ。そうした使い分けが起きているのかもしれない。

02.企業は、その近さを買えるのか。

若い層向けのプロモーションで、Vlog風の動画に商品を自然に登場させる手法は、すでに珍しくない。だからsetlogを見て「これからは企業も日常風の動画を作ろう」で終わるなら、新しい話にはならない。

考えるべきは、企業が作った日常らしさと、友人同士が共有する日常は別物だということだ。後者の近さは、アプリの機能だけで生まれているわけではない。もともとある人間関係が、その場の価値を作っている。

もちろん、だから企業は入らないほうがいい、とは思わない。商品が誰かの日常に自然に選ばれる可能性はあるし、少人数への深い接点が有効な企画もあるだろう。ただ、クローズドな場では届く規模が限られ、誰にどう伝わったかも見えにくい。その深さに見合う費用をかけられるのか、成果をどこまで確かめられるのか。公開型SNSと同じ物差しで判断するのは難しい。

「次はsetlogだ」と決める前に、何のためにその距離まで近づきたいのかを決める。広く知ってもらうのか、少人数の行動を変えたいのか。後者なら、小さく試し、かけた費用と確認できた反応を見ていくことになる。測れない広がりを、成果として先取りしないことも大切だ。

若い人は、SNSをやめたのか。今はまだ、そう結論づけるより、見る場所、見せる相手、つながり方を選び直していると考えるほうが自然だ。その変化を前に、企業が問うべきなのは「新しい場所に入れるか」だけではない。そこに入る理由と、入った結果をどう判断するかである。